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これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関
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どうも、最近とんと漫画を買ってなくて寂しい河童です
ちょっと今年はいろいろお金の消費を自重してて苦労してます。
いや、苦労というより単に浪費を抑えてるだけですね。なんも苦労してません

星蓮船の体験版が出て今日は家に帰ってから昼寝と飯と東方しかしてません。ええ、わかってます。わかってますから…
最早東方はそのへんの企業の製品レベルの質になってきましたね~。流石神主
個人の製作レベルがPCのスペックとともに上がっていくならこれは何処まで行くのでしょうか…

追記の内容は基本的に変なものを書いていくんで面倒だったり気分を害すようでしたら見ないことを推奨してます
勝手な解釈で論じてるんで愚痴より性質が悪いです
まあ日常で思ったことを書いてるんで日記っちゃ日記ですけど…
こういうのは少女の秘密のノートにでも書いとけって話ですね
とりあえず、追記を読んだ人が何かを感じ、これが考える種となってくれれば幸いだと思います


補講と急な授業入りに面倒くささを感じながら、気化熱の寒さに身を震わせて今日はここで川流れ




昔からの卑屈と悲観主義と利己主義です
なのでいつも孤独感を感じながら生きています。
これでも高校卒業を境に結構良くはなったほうです

何度か自分について考えることがありました。きっかけは日記の整理でした



『咳をしても独り』とはよく言ったものだ。この言葉の『咳』に苦難や疲弊の意味が込められているようだ。独りでいるときのどんなときよりもその時は辛い。
誰にも信じられないから自分も誰を信じることをできない。
しかしそれはなんか自分を騙している気がしてなにかイイ気がしない。
その実、誰かに慰めて貰わなくとも、聞いてくれる存在を渇望しているのだろう。
孤独を好みながらも嫌う。そんな自分の相反する感情は常に付き纏い、それでいて答がでない。
この心の孤独という影は馴れることはない。

自らを孤独と思う事により他との交わりを断つことにより、完全に関わりのないものとして憎む事ができる。そして常に裏切られるものとしと考えていれば本当に裏切られたときにショックを軽減でいる。それが故に、他人の笑顔は自らを比較するようで怖く、笑いは嗤いにしか聞こえない。

孤独は試験などでは有利だが社会的には完全に敗者である



この内容は丁度1年前の3月あたりに書いた内容です。一番精神的にとんでもなかった頃でしょうか
正直言ってこの考え方は今は青臭くて根暗な感じがして辟易とします。でも今はあのころに比べて精神的には疲労感は感じていません
この内容を書いた理由は2つ。「言う先がなかった」と「後々自分で考え直す」
まあそんなことはどうでもいいです。唯単なる根暗の似非自己分析です

この後しばらくして、ひとつの答えにたどり着きました

『孤独は他人がするものではなく、あくまで自分からなるものである』

思い返してみると、他人と考え方が違う、声が聴こえてない、話が通じない、人付き合いがめんどくさいといった感じでいつも人と話すのがいやな自分でした。それで結局周りから何をされるわけでもなく勝手に「誰も理解してくれない」といった感じに思考して社会から孤立してるように感じてました。

本当に独りでいて何も感じない人は、恐らく自分のことを孤独だと言わずに一人でいるというでしょう。孤独という言葉のニュアンスには、寂寥感を感じて、社会に訴えかけ回帰したいというのが含まれているように、自分は感じました

先述の通り、自らを孤独と思う事により他との交わりを断ち、完全に関わりのないものとして憎む。孤立した空間内ではそこには自分しか、自分のことを最もよく理解している自分しか居らず、鏡に向かいながら自分で自分を慰め、正当化している状態。正直言ってこの追記も今までのものも、常に自分の中で論じていることも皆これとなんら変わらないことです。

この追記はなにより書いている自分自身に見せ、自分で向き合うものです。もしもここまで読んで気分を害してしまった人はごめんなさい。
この内容を公開することによって、少しは独りよがりなところが直るかも知れません

自分で殻に引篭もって勝手に他人を否定し撥ね付ける。結局これは唯の弱さであり我侭に過ぎないことに気付きました

今まで自分の我侭で傷つけてきた多くの人々に、この場でしか謝罪できないのもまた弱さです・・・



その反動だか知りませんが、最近自分がやけに厚かましい自己中になりました
ある意味これは今までの自分への打開策でもあります

自分だけ特別辛いんじゃない、みんな辛いし自分より辛い人はいっぱいいる
んなこと知ったこっちゃありません
誰かが事故起こそうが、世界のどこかで戦争に巻き込まれてる子がいようが、自分が倒れたら何にもなりません。
他人の価値観なんて比較できませんし、苦楽も人それぞれ。
だったら自分の眼前の苦難を乗り越えて、同じ問題で躓いてる人に打開策を教えるほうが有意義です。自分の救える範囲を救えばいいんです。そのほうが誰かに対してやさしくいられます
100人を救えなくても身近な数人を助けられればよし。
情けは人のためならず、常に自らに返ってくるものです。八方美人でなくても、仮面を使い分けるわけでもなく、そのままの自分で接する。万人に好かれる奴ほど信用できません

傲慢で厚顔無恥で自己中でも、それでもほんの少しでも誰かのために何かをしようという思いがあれば、結構人生楽しかったりします

この生き方が良いか悪いかはまだ答えは出ませんが、正直言って我侭なだけの周囲に迷惑かける生き方ですがこれはこれで色々あるんでまた考えながら生きていきます
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